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言語は地域によって異なる場合が多い中、数字はほとんどどこでも共通する字であるという事はとても興味深い現象である。
読み方は違えど、数字の意味はどの言葉でも同じであり、0から9までの十通りの記号が存在する。
それは一体何故か?
別に0から9でなくても、0から4まででも同じことではないか?
もしも数字が0から4までしか発明されなかった場合、数え方は以下のとおりになる:
0,1,2,3,4,10,11,12,13,14,20…
となる。10は私たちの5となり、11は私たちの6を表すことになる。
「なんてややこしくてキリの悪い数え方なんだ!」と思うかもしれないが、それはただ単に私たちが0から9までの数字に慣れているだけであり、別に上記の0から4までの数字でも十分同じ物を数えることができる。
それなのに0から9という数え方をしない所はあまり見かけない。あったら教えてほしいくらいである。(ちなみにプログラミング言語で0と1とかはノーカウントである)
数字の中でも、もっともキリの良いと思われている数字は5や10の倍数である。別に2や3や4や13や21でもいいのに、何故私たちは5や10にこだわるのだろう。
答えは案外簡単だったりする。
例えば、知らない言語の国へ行って買い物をしたとする。もしも3つ分の商品が欲しかった場合、どうやって店員に表すであろうか。
「3」とどこかに書くのも手だが、それよりも簡単な方法がある。それは三本の指を立てることである。
そう、私たちの手には五本の指が、そして二つの手を合わせて十本の指が生えているのである。
指は、数の表現方法として適している。きっと数字が発明される以前は、指を使って数字を表していたに違いない。そしてその習慣が0から9という10通りの数字の発明につながったのであろう。
私たちは票を取るとき、たまに四つの縦線とひとつの斜線をひとまとまりにして書くことがあるが、あれもどことなく手に似ていないだろうか。
もしも私たちが4本の腕を生やしそれぞれの手に3本の指が生えていたとしたら、12通りの数字が発明されていたのかもしれない。逆に手も無く、足も一本しかない傘のおばけのような生き物だったら、一体どうなっていたのだろうか。
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